シューズとユニフォームの物語 ~サッカー名言集~

古今東西のサッカーにまつわる名言・至言をとりあげていきます
シューズとユニフォームの物語 ~サッカー名言集~ TOP  >  スポンサー広告 >  未分類 >  中田英寿の言葉

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

中田英寿の言葉

”こんなに上手い人が補欠なんじゃ、俺なんかプロでやってけるはずがない”






               元日本代表 MF   中田英寿



――――――ヒデこと中田英寿さんが18歳のころ、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に入団した直後の言葉。当時おなじベルマーレに所属し、現在は監督として古巣を率いている反町康治(そりまち・やすはる)さんの練習のプレーを見て抱いた感想。
プロ入り以前から年代別日本代表に名を連ね、Jクラブの激しい争奪戦の末、鳴り物入りでベルマーレに加わった中田選手。
ルーキーですぐさまプロデビューを遂げると、メキメキと頭角をあらわし、フル代表選出、W杯初出場、セリエA移籍とステップを重ね、日本サッカー界のカリスマ、パイオニアへと一足飛びに駆け上がっていく。
その彼にして、プロの第一歩は決して生易しくなかったことが、言葉からはうかがえる。のちの成功が華々しすぎるだけに、その裏にあった中田選手の尋常ならざる努力の積み重ねは、ときに忘れられがちかもしれない。
自他を冷静に分析する観察眼と、そこから見出した課題に挑み続けた反骨心。それこそが、「生意気」のレッテルを貼られながらも、彼を偉大な高みへと導いた原動力だったのではないだろうか。
ルーキー・ヒデにショックを与えた反町選手は、当時31歳。
日本代表4キャップのMFで、横浜フリューゲルス時代は社員選手の肩書きで有名になり(親会社全日空のサラリーマンだった)、その後ベルマーレに移籍してプロ契約。
ヒデ入団の1995年が平塚2年目で、1997年シーズンで引退するまで、ベテランらしいプレーでクラブに貢献した。ケガや途中出場はありながら主力のひとりで活躍しており、実際は「補欠」だったわけではない。
スペインに指導者修行に赴くなどしたのち、アルビレックス新潟をJ1に昇格させて名をあげ、北京五輪代表を指揮、そして2009年から湘南を率い、今年で3年目を迎えている。

『中田英寿 僕が見た、この地球。~旅、ときどきサッカー~』






関連記事
スポンサーサイト
[ 2011/02/26 12:59 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

旧ブログ&相互リンク


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。